いったん選んだ仕事はどんなに辛くてもやり抜くんじゃ
ここ一週間ほどのパトラッシュならぬバドラッシュがとどまるところを知らない。テレビ誌の早売りでB.A.D.が久々B.A.D.曲をやることが発表されたと思いきや、17日深夜、レコメンを丸山が卒業、3月末よりMCを桐山+中間が務めることを発表。21日にヒルナンデスのロケの目撃情報、CDの宣伝かと思ったのも束の間、23日の水曜日には4月よりMCを務めることが発表され、次の24日には恐れていた村上さんのヒルナンデス卒業報告。金曜日にはコンサート中の罰ゲームに二人が選ばれ、土曜日の正義のミカタ、そしてその夜にはラジオBayじゃないか、まさかの初・二人体制でのラジオがB.A.D.。
ほとんどの方が気になっているのは間のディテールではなく「レコメン」と「ヒルナンデス」の部分であろう。ついユーモラスにタイトルではバドラッシュとパトラッシュをかけて「疲れた」と書いてしまったが、この供給にまだ心が追いついていないだけで私はかなり元気だ。
私はこの二人が大好きなので、嬉しい。ただ、どうしてだか嬉しいと言いにくい。そして、この手放しに嬉しいと言えない事実が、なんだか心配なのだ。
現役の就活生(ただし、恥ずかしながら就職時期も違うため特に何もしてない)の私にとっては、お仕事をする、もらってくるということの苦しさ、厳しさなんてまだまだわかっていない。ただ、せっかくいただいたお仕事なのに、自分たちへの批判が随所随所でくすぶっているのを見たら、私だったら辛い。
最初に書いておくがこの記事にオチも結論もない。私ははためんどくさい思考の末に堂々巡りで疲れるのが好きなだけ。書きたいことは書くけど久しぶりに「苦手だ」、とかも書くので注意していただきたい。
さびしさや心配事が煙突のススのようにつまっているんです
ブログのアクセス解析を見ていても、最近「ばど」検索で来る人が劇的に増えている。以前まではその単語で来る方などほとんどいなかったから、気になっている人が多くなっている証拠なのだと思う。ばどの時代が来ている!
…ただ、私は彼らが「推されている」とはそんなに思わない。いや、昨今の露出量を見て推されていない、といえば運営にでさえも怒られるのではないかという感じだが、彼らが正当な努力の末に、運営が期待と希望と信頼を託して、お仕事を任してくださっている、というほうが正しいと思う。
どこのジャンルでもそうだけど、オタクごとで「病む」ときは人の意見に左右されて「病む」ことが多い。あくまで人生の潤いとなるはずのオタクライフ、本当はそんなことしたくないのだがのめり込むとどうしても人の意見を見てしまう、気にしてしまう。人間とはなんとまあ、こういうものなのだろうか。
推されているものが、「推されだから」という事実だけで正当な評価が下されないのは、なんだかおかしい。「推されているから嫌い」、という意見はどこのグループ、ジャンルでこそすれある一定数見かけるものではあるけれど、私はばどの二人が好きだから、お仕事が決まったら嬉しい。別に今、このタイミングだから、コンサートの絡みに、ミカタでの共演に、沸いているわけじゃないんだ。私は、少なくともこの一年間は、B.A.D.がV.I.Pをやる日を心待ちにしていたのだ。それが叶って嬉しくないはずがない。
私は今、ばどが心ない言葉をかけられることを恐れている。でもそれを私には論じる正当な手段がない。心無い言葉をかけられるのは私ではない。私が彼らに「それは違う」と言ったところで、向こうは私の意見を聞く所以もない。だから言えるのは、私はB.A.D.の二人が好きで、本当はもっともっとおめでとうと言いたいよ、ぐらいしかない。…とりあえず大人しくしておけばいいものの、こうして新規投稿画面を開いてしまっている時点で、言いたいことがあるのだろう。私。
最初レコメンにバドが決まった時、「おめでとう!」とツイートしたあと、どうやら丸山くんの卒業を複雑に思っている方が多いのを見て、こっそりとツイートをもう少し柔らかめの文章に書き換え、投稿した。ヒルナンデスが決まったとき、TLにある具体的ではない「何か」を傷つけないように、自分なりに細心の注意を払いながらツイートを投稿した。村上くんの卒業については触れることすら諦めた。
だんだん、何かが決まるたびにツイートをするのが怖くなっている。「おめでとう!」、「ありがとう!」だけではない。しかも、その「だけではない」方の割合が、だんだんと増えている気すらするのだ。
この二つの現象によって、今彼らふたりを取り巻く全てのものがデリケートで人を選ぶ、と扱われていること。この彼らの露出には何か意味があるのでは、と深く勘ぐられてしまっていること。薄氷の上を歩くようなタイムライン。私の普段見ないところ(例えば検索)に、色々なオタクたちの感情と思惑がせめぎ合っているであろう事実に、なんだかぞわりとさせられるのだ。
ただ、3月25日のコンサート中、ある発表があった。桐山中間が代わりにはいる、と言われたラジオは、隔週で桐山、中間の交代である、ということ。私は、彼らが二人一緒ではないのであれば、毎週生真面目に3時間超、ラジオを聞きはしないだろう。3時間は長いし、私は濵田君担当なのだ。
あたし今のままではそんなにいけない子なの?
2014年12月のある日、ジャニーズWESTの動画を見て濵田くんが一番気になった私は「濵田崇裕」検索をして、ある動画にたどり着いた。それは少クラで、B.A.Dや他のジュニアたちをバックに従え、ひとりでGive Me...を踊る濵田君だった。今まで見ていたのと違う彼の踊りと雰囲気に私は圧倒され、動画を調べていくうちに濵田担になった。
私には、どうしても苦手な人がいる。映像を見ていて、彼の顔がアップになると視線を外す。その当時の動画もほぼ見ない。そのせいで、キラキラでギラギラの濵田君は、私の脳内データにはほぼ存在していない。
だってその彼は、もう今の彼らの会話に出てくることなどないのだから。「ばっど」が誰を指すのか知らないと生きづらいことはあるが、彼を知らなくても、「ぼーいず」というあの日の肩書きの名前さえ知っておけば、なんとか生き抜くことができる。私は新規という言い訳を最大限活用することで、彼を知ることから逃げている。
濵田くん担当として、なんだかとっても「ばどが大好きです」と言いにくい空気がある気がする。いることにはいるのだろうが、他の担当に比べるとB.A.D.が好きな濵田担、というのは少ない気がする。なんだかユニット分けに、過去ユニットの話題に、敏感な方が多い気がする。なぜなのだろう、ばどが好きだということが、彼ら二人の活躍を喜ぶことが、もう一組の「彼ら」を貶めることには絶対に繋がらないというのに、なんだかその気がある。その空気は、いやだ。
なんでだろうな、0番に立って踊る濵田くんがかっこいいのは、私が過去を知ろうとしていないからなのか。私にとってそれは1、いや1以上であっても、皆にとっては0.5かそれ以下でしかないのだろうか。冷酷な看守長が、Give Me...の濵田くんが、ジュニアを従えて踊るの、私にとっては震えるほどかっこいいのになあ。私は濵田君のソロが、きっといつか聞きたいのになあ。
バドラッシュからどうしてこんな話に行くのかわからない、私だってわからない。きっとどうしてもそこがもやもやしてしまうのだ。私は好きなものを好きと言いたい。それがなんだか難しい。
さあ涙を拭いて笑っておくれ
まあ、まだまだわからないのだ。ヒルナンデスを見たらどんなにTLの人を気にしているといったところで沸いてしまうだろう。そしてこの記事は説得力がなくなり、きっとすぐに下書きに戻るだろう。いや、決して誰かを説得するつもりはないのだが、どうしても何か意見を伝えるためにブログを書いてしまうのである。
とりあえず今週と来週、どうやって午前4時に起きるか頭を悩ませることにしよう。そして、ヒルナンデスを楽しみにしていよう。Bayじゃないかも楽しみだ!
本当は簡単だ、ツイッターを閉じて、これ全部から離れて、現実世界に没頭すればいい。現に4月中旬頃までに課題とやることがすし詰めだ。テレビとラジオを見る・聞くためには、今、この記事ではなく書くべきプログラミングの課題がある。それをしていない私は、また現実から逃げているのだから。
彼らが不当な評価で、ネロとパトラッシュのように倒れませぬように。
見出しのセリフたちは、「フランダースの犬 心がピュアになる言葉」より。