いたれりつくせり。

アニオタからジャニオタ。オタクのオタク。

シャワーじゃなくて、温泉宿(市場三郎雑記)

アメリカには、シャワーはあれども、温泉がない。

 少なくとも、温泉と名のつくものはほとんどない。あったとしてもそれは「スパ」であり、「ホットスプリング」であり、水着を着て、美容のために、観光として、行くためのものである。

日頃の疲れを癒すために、心も体も裸になる温泉とは違う。

 また、貧乏大学生にしてみれば、そんなところに行く余裕なんてこれっぽっちもないため、そもそも湯船すらない。学生寮についているのはべらぼうに高い位置に取り付けられたシャワーのみ。可動式でもないため、一点集中で浴びるだけ。(それに嫌気がさし、留学後そうそうに洗面器を買った)

 

「あ~!温泉は無理でもせめて湯船に浸かりたい」…とこの3年間で何度口にしたことか。

 

上から暑い湯を浴びるのと、熱い湯に浸かって体を芯から温めるのとでは、全く違う。

 

「僕濵田崇裕、主演舞台が決まりました!」

 横浜アリーナのスタンド席で彼のこの一言を聞いた1月6日から、私の人生はぐるりと変わった。発表された日程は、想像したよりも大阪公演が短く、「そもそも行けるか分からない」という状況になった。

 とりあえずなんとか行けそう(で大千穐楽ではない)15日一部に指標を合わせ、名義をかけた。

 少ししてからとった帰りの飛行機は。13日の14時半に日本に着くことに。必死で14時半から成田→関空または伊丹→19時までにドラマシティのルートを考えたが、体力的にめっぽうキツいであろう紛れもない事実と、時刻表殺人事件のようなリスキーさになることは承知でそうそうにあきらめた。

 ジャニーズネットを見ては「座長」「主演」の文字列にニヤつき、共演者さんたちのツイッターを見ては持ち上げられる濵田くんこと「はまちゃん」にワクワクしていた。

雑誌を集め、WSを貼る。

 舞台が始まる4月22日からはWEST担のフォロワーさんを全員ミュートし、来るべき私の温泉宿到着の日まで、チケットを検索しながら(諦めが悪い)モクモクと待った。

 

感想を、ネタバレを見ないようにしても、チケットを検索しているうちに様々なところで目にはいる。皆が口々に「いい湯だった」と書いている。

ああ、早く帰りたい。

シャワーを浴びるのはもう疲れた。

温泉に飛び込みたい。

浴びるのではなく浸かりたい。

起きる、講義行く、ご飯食べる、講義行く、ご飯食べる、シャワー浴びる、寝る。

毎週毎週、ほぼほぼルーティーンワークの4ヶ月。

温泉宿を楽しみにしながらシャワーを浴びる。体はなかなか温まらない。

 

関西の遠征時は、いつも京都の祖母の家にお世話になる。

 今回は初の一人での遠征だった。京都にも大阪にも一人で行くのが初めてで、祖母に何度説明したところで、「せりが一人で京都にくる」(マイPが一緒ではない)ということを納得してもらうまでに相当苦労した。

 正直、担当の初座長初主演舞台でなければ、私も帰ったその日に大阪行の荷物を準備し次の朝早朝に大阪に発つ元気はない。

 でも、初座長初主演舞台なんだぞい!?

 5時半に起き、準備をして新幹線に飛び乗る。道の駅も何もない、ピューッと2時間半。

 

ざわざわ…ざわざわ…会場にいそいそと入る。

「濵田崇裕」ののぼりが踊り、さまざまな番組からのスタンド花が軒を連ね、皆が足を止めるのおはお祭りの屋台風のグッズ販売所。

一歩劇場に入れば、舞台の両端に広がるいかにも歌謡劇・歌舞伎調のキャストさんたちのイラスト。「♨ゆ♡」のマークののれんに、暖かい色のちょうちん。

ついに、ついに、やっと来られた。

 

 席につき、「濵ちゃんによる共演者紹介VTR」を見る。ツイッターで見慣れていたキャストさんたちが、嬉しそうに自分の趣味、他のお仕事を説明する。カメラの後ろには座組がいるのを声で感じる。

大堀「あんたについていくぜ、座長。イェイ!」

入山「三郎ははまちゃんにしか出来ない。おもいっきり楽しんでください。」

 最後に座組にわっと取り囲まれ、前田さんに足を掴まれ担ぎ上げられ、軽く胴上げをされたあと床に下ろされみんな座長の濵ちゃんに群がり彼をくすぐったりちょっかいをかけたりする。

 Twitterで見ていても、座組のみんなが座長を口々に「はまちゃん」と呼ぶのは見て取れた。現に、彼はみんなに囲まれて、愛されていた。インタビューを読んでいたら、この舞台が実際一筋縄ではなかったのは読み取れる。でも彼は座組に囲まれ、座長、はまちゃんと慕われていた。

 この時点で溢れる涙を止めることができなかった。

 開演前である。開演前であるにも関わらず、もうこの時点から暖かい湯に身を沈めていた。

 親元を離れ、人見知りで、友達が多いタイプでは決して無い。アメリカにいる間、だいたいは勉強している。そんな私にとって濵田くんが満喫している「暖かさ」を見ることは、なによりの癒しだった。

 

 舞台が始まったら、私は彼を濵田崇裕としてこれっぽっちも見ていないことに気がついた。彼が濵田崇裕だと気づくのは、声が裏返ったとき。素が出るとき。「関東弁、上手になったな」と心底感心したとき。アクロバットや裸や初登場のシーンで、あちらこちらから理由なんてないはずなのに黄色い悲鳴があがるとき。

 それ以外の間、彼は一貫してピュアで不器用で、色恋沙汰はからっきし、男というよりは漢、真面目なだけがとりえで、弱きを助け強きをくじく、粋な市場生まれの三男坊だった。

座長挨拶。

「ああ、この挨拶はコンサートのときみたいだ!ここに濵田くんがいるんだ」

最後の最後でそう気付かさされた。

 

舞台を観終わって、劇場を出る。

最初に出てきた感想は、「素敵な舞台」「いい湯だというのは分かる」だった。

うまい表現でも何でもなく、暖かくて、「いい湯」。

シャワーを浴びてもなかなか暖かくならなかった体が、ほかほかに温まっていた。

 

市場三郎三郎はニアリーイコール濵田くん、な役だと思う。照史くん神ちゃんのミッキーエディーや、望くんのオスカーに比べれば、濵田くんは市場三郎にかなり、近い。

座組がステージ中央に綺麗にぎゅうっと寄って、

「もう、三郎さんったら!」「三郎さ~ん!みんな笑ってるよ。」

「お天道さんも、笑ってらぁ!」へへっ、と鼻の下をこする三郎。

お仕事があんまりできず、うすらこんこんちきと呼ばれることもある三郎くんの周りに人が集まり、みんなで市場三郎のテーマを歌い、「みんな笑ってる」。

そうおもったらもう、全力で大きな音で手拍子をしながら、口元は笑いながら、涙があふれた。だって「みんな笑っている」から。私だって笑いたいのだ。あまりにも素敵すぎてちょっと鼻の奥がツンとするだけで、笑いたいんだ。

 

「咲かせてみせよう恋の花 コツコツ生きてりゃ華は咲く」

「今、やっと芽がでました」ニ年と少し前、日生劇場で、誰よりもメンバー想いな誰かさんは言った。

 みんなから愛される濵田崇裕への好意をあまり表には出さない男は、グループ1の濵田担・望くんに次いで、東京大阪の二箇所の会場で市場三郎を観劇しに来た。似たもの同士であるため仲良しではあるが「ライバル」としあまり濵田くんと絡まない彼が、大千穐楽の会場で、両手を大きくあげ拍手をしていたという。

花はきっと咲く。今咲いている。でもきっと今からもっと大輪の華を咲かすのだ。

泣かない術がなかった。

濵田くんは人を、周りを動かす。

 

 初めての観劇が終わり、お友達とお茶をして、紆余曲折あって、遠征の重いリュックをしょって40分ほど迷子になってうろうろ歩き、疲れきって祖母の家についた。良い舞台を見て心は暖かいけど、私は疲れていた。

 もともと河原町で、大好きな洋食屋さんでご飯を食べようとしていたのだ。「土曜の夜の河原町に女の子一人なんて危ない、夜ご飯はもう出来ているから帰ってきなさい。」そう電話で祖母に言われ帰ってきたのだ。

 荷物を置いてテーブルに座るやいなや、ごちそうが出された。

 ご飯があって、ぶりの照焼があって、ブロッコリーがあってかぼちゃがあって、さかなや肉や山芋や何でもござれの粕汁があって、にぬき*1がある。私とマイPは、ぶりが好きだ。ゆで卵もすごく好きだ。いつもそれを祖母に言っている。

 祖母が私の事を考えて作ってくれた手料理である。

 学食という、みんなのために作られたご飯ではない。バイキング形式*2で、湯煎で保温されているご飯ではない。紛れもなく私のために、人が愛情をこめて作ってくれたご飯だ。

 一口食べて、涙が溢れる。先ほどの舞台を見た気持ちが蘇る。ご飯を食べながら想う。先ほど舞台を見たときに感じた暖かさ。あの温度、泉質はやっぱり「愛」なんだと。

 

 お風呂が沸いているよ、と言われ、おばあちゃんちの広いお風呂に浸かった。

 暖かい。また泣きそうになった。どうしてこう暖かいのか。座組が座長のために、何かをしたいと思う気持ち。座長の、皆と仲良くなり座組を引っ張っていきたいという気持ち。皆で苦労してつくりあげた、真面目にふざけるアカペラ歌喜劇のシュールな世界。それがあの温泉宿の暖かさなんだろう。

 温められた水道水である。温泉ではない。でも、元気がでる。気持ちが軽くなる。

 熱くて体の芯まで暖まる、汗もかく、いい湯加減。

 

 布団に入る。

 ここもまた、温泉宿である。祖母が私のことを想い食事を用意し、お風呂を沸かして、布団を用意して待ってくれていた、私の温泉宿。

祖母はいつもこういう。

 「向こうで精一杯気張ってきて、こっちに来たら好きに甘えればいい」

気張ってきました、私。

大阪梅田の劇場内の場末の温泉宿と、京都の祖母の家での精一杯のサービスを受け、ドヨルのエージェントWESTまで起きている体力もなく、すぐに眠りについた。

 

 

次の日の一部。最後の観劇である。

 最初は観劇予定が一度だったことを考えると、改めて二度入れた素敵なご縁に感謝する他ない。前日に見逃したポイントを復習。「忘れたくない」との想いが先行して、メモ帳にボールペン片手に見ることにした。この舞台の記憶をどこにも流したくなかった。全てに縋りたい気持ちだった。

 

劇が終わって、やはり「素敵な舞台だなあ!」「舞台っていいなあ!」と思った。

 

 お友達とお茶をして、二部の当日券に並んだ。当日券は、286番だった。あんまり失望はしなかった。私は2回見たのだ。

 次だ、次!運を繰り越した。

 

 ホテルに戻り、ご飯を食べて、今度はホテルの湯船に浸かる。

祖母が、「夜行バスに乗る深夜まで梅田に一人で放ってはおけない。どうせちょっとした旅行気分でホテルに一泊するから、ぎりぎりまでそこにいればいい」と言ってくれたおかげである。最高の祖母だ。

 やっぱりお湯はいい。湯船に入って、裸になって。ふうと息をついて湯けむりのなか上を見上げ、色々反芻する時間が好きだ。徐々に温まってきて、汗がふき出してくる。私はお風呂が好きだ。

 お風呂から上がり、ダブルのベッドで仮眠をとって、祖母に別れを告げてバスターミナルへと向かった。ターミナル向かう途中、日本に帰ってから見ないことにしていた就活スーツの女の子3人と駅ですれ違う。

「ああ、舞台は終わったんだな」と、そう思った。

 でも大丈夫だ。コツコツ生きてりゃ華は咲く。七転八倒して、きっと来年、笑顔でまた新たな市場三郎の歌が織り成す人情喜劇を観に行きたい。

 三泊四日には届かなかったものの、二泊三日の慰安旅行を終え、帰路についた。

*1:ゆで卵

*2: