いたれりつくせり。

アニオタからジャニオタ。オタクのオタク。

涙(Run for Your Wife名古屋千穐楽について)

2021年4月25日。前日の24日に緊急事態宣言の影響で大阪公演(4月27日~28日)の中止が発表され、急遽千穐楽となったRun for Your Wife。その日に見た担当の涙と、カーテンコール、何よりRun for Your Wifeと今江くんを取り巻く全般の気持ちについて、残しておきたいので書く。

今江くんは基本、明るい。ぽわぽわふわふわ、「幸せ」「楽しい」が口癖。あまり過去を振り返ったり、難しいことは考えないひと。ただ、時として驚くほど現実的で、地に足ついた考え方をもつ、普通の25歳男性だ。

2本目の主演舞台と、それに伴う雑誌ラッシュのうち、月刊TVガイドでの下記の言葉がずん、と心にのしかかった。

やっぱり丈とすえには負けたくないなって。2人には悔しい思いをいっぱいしてきましたから。1番悔しいと思ったのは、コンサートで2人が目の前で歌って踊っているのに、僕は袖で見ているだけだったとき。(中略)俺もあそこにおったのかな。おってもおかしくなかったのかなと自分では思うけど、おらへんのが現実。その虚しさや、悔しいって気持ちがすごく大切なんやって今はわかる。けど正直、もっと早く気付いていたらよかったのかもって

もちろん、雑誌のインタビューは聞き手の力量やその場のニュアンスによって結果が変わるから、100%彼の感情が反映されたものとは言い切れないだろう。それを踏まえても、「悔しい」だけならまだしも「虚しい」、そして「もっと早く気付いていたら」だなんて。後ろ向きな言葉をほとんど口にしない今江くんがこれらの感情を持っていたことが、簡単にいえばショックだった。

いま、この記事を書くために久しぶりにこの雑誌を開いたけれど、やっぱり苦しい。私たちファンが、もっと早く気付かせられたんじゃないのか、私や他のファンの、「そこにいてくれれば幸せ」「笑っていてくれればいい」が、極端な話彼を慢心させてしまっていたのだとしたら、自分自身を赦すことなどできない。

でも、同時にわかっている自分もいる。本人はこれを我々のことを責めるようなニュアンスで言ってはいないだろう、と。「今はすっきり、目標に向かってがんばれている」とも語っているとおり、これはあくまで思い返したときの結果論の感情であって、この気持ちをずっと持っているわけではない。それは今までの数年間にわたる、ファンとアイドルという、薄く、細く、儚い絆でなんとなく感じるものだ。合っているかもわからないけれど、そう思っている自分がいる。

現に今江くんは「役者」という道に進むことを明言してから、感情というものに対してのアンテナがかなり鋭くなっていると思う。一日中寝てしまった日に、「こんな経験も役者のためになる(ニュアンス)」とかんじゅ日誌で綴っていたときには思わず「んなわけあるか!」と苦笑いしてしまったけれど、所謂プラスではなくマイナスと捉えられる感情、今までファンには絶対に悟らせまいとしていた感情を見せてくれるようになった。

その一つが、「不安」だ。

冒頭の話に戻る。Run for Your Wife名古屋公演千穐楽。4月7日からの16公演のなかで、一番いい出来の公演だった、といって差し支えないかと思う。

おいおい、何が「一番いい出来の公演」だ。舞台は全公演同じが当たり前だろう、初日から楽まで同じ金額なんだから、同じクオリティが保証されるべきだろ。泣いた?泣くんじゃねえよ。そう思った方、ちょっと待ってほしい。千穐楽、カーテンコールでの今江くんの涙ばかりが取沙汰されて、そこに至るまでの経緯、その場の空気が伝わらないことが私がいちファンとして危機意識を抱いた部分だったのだ。だから、説明させてほしい。

舞台がどうあるべきかというあるべき論はさておき、少なくともSHY BOYプロデュース公演は、公演中の「進化」をいいものとして捉え、積極的にポジティブフィードバックを行っていた。初日から千穐楽まで、前説の我さん清水さんは常に、「今江と河下はどんどんパワーアップしている」「上達している」「笑いも増えている」「この舞台を大きなステップとして、SnowManのように二人を飛躍させる」という話をしていた。

そして現に、今江くんはこの公演中、大きくパワーアップしていた。パワーアップ、という言葉を裏付けるにあたっては、初日公演の話を正直にしなくてはいけない。私は甘々オタクだし、悪いことは言わないようにしている。なので、初日公演に関しては、「1年3カ月ぶりに見る!初めての役者宣言後の現場!どんな演技をしてくれるんだろう?」という、上がりに上がりきったハードルを越えてくれなかった、というにとどめよう。

幕間のロビーで、有楽町から帰る最中、忌憚なき他オタクのご意見を聞いては心を痛める日々。友人を連れて行きながら、正直友人はこの公演にチケット分の価値があると思ってくれるだろうか、と不安に思ったりもした。でも東京公演も日を追うごとに進化していった。東京公演が全12公演。19年の初主演舞台、「冒険者たちのホテル」が同じぐらいの期間、全11公演だった。進化度としてはその期間よりははるかに大きく、速い。満足する気持ちと、もっといけるに違いない、という焦燥感があった。

この気持ちのまま迎えた23日の名古屋公演初日。「本当に同じ人間なのか?」が最初の感想だった。嬉しくて楽しくてニマニマしながら、脳内の冷静な私は「今まで何を見せられていたんだ?」と思った。課題だった滑舌が大幅に改善して、早くなっていたモノローグが整理されていた。23日公演、カーテンコールで清水さんも、「だいぶ聞き取りやすくなっていた」という言葉を今江くんに授けていたので、プロの方の目から見てもそうだったのだろうと思う。

この一週間で何をしたらこんなに進化するのだろう。一カ月の稽古じゃ得られない何が、この期間にあったのだろうか。それって何?本当に、東京公演の笑いのパワーが、一役買ったというのだろうか。

そして24日を経て25日公演、名古屋千穐楽。東京公演は、千穐楽よりもその前日のほうが演技がよかった(千穐楽なので緊張したのか?と思っていた)ので、「ここでまた緊張が勝ってしまったらどうしよう…」と恐れていたのだけれど、盛大な杞憂だった。一幕、長めのモノローグをこなすその姿勢があまりにも堂々としていて、頼もしくて、思わずじわりと涙が出た。また進化している。全然違う。テンポを変えてくる部分は変え、キープする部分はそのままに、生き生きとしている。楽しみが伝わってくる。一幕終わり、東京土日公演でしか発生しなかった拍手で幕を閉じる。そして二幕始まり、ここまでの公演で初めて、拍手で幕が開いた。

千穐楽、カーテンコールの涙。その前には、清水さんのこんな言葉があった。以下はニュアンス。

このSHY BOYプロデュース公演は、日本で良質な翻訳劇を上演することを目的にしている。しかし、それだけが目的ではない。僕清水、プロデューサーの山田、演出の野坂、翻訳の小田島をはじめとして、第三弾の構想を一年ほど前からずっと温めていた。第三弾として、このコロナ禍で以前のように笑ってもらえるにはどうしたらいいかを論議した。ストレスのたまる世界で、少しでも笑ってもらう、これも大きな目的だった。
もう一つSHY BOYプロデュース公演の目的として、ジャニーズ事務所のJr.で、人気もあって実力もあるのに、燻っている、そんな子達を引き上げることが、大きな目的である。今江河下に熱を注ぐのが、この企画の根幹に当たる部分。彼らはここからどんどんお仕事が増えて、メジャーになっていく。ファンの皆様はもちろん、この舞台で初めて見たお客様も、ぜひ今江河下、応援していただければと。

 

この言葉で、前説で、カテコで、清水さんが常にポジティブフィードバックを口にしていた理由が分かった。最初こそ、ソワソワしたのだ。今日が初めてのお客様もいるであろうに、「どんどん進化している」なんて言葉、舞台の在り方として正しくないんじゃないのかと。でもそうじゃなかった。この企画の根幹に、彼らを引き上げる、それがあるのであれば、パワーアップは称えるべきだし、初日公演と千穐楽公演は全くちがってしかるべきだ。現に今江くんはそれを成し遂げたと思う。

清水さんをはじめとしたSHY BOYプロデュース、スタッフの皆様はこの三つの目的を、何より最後のひとつの目的を、それが彼らの矜持だと常に全力で後押ししてくださった。大阪公演が中止になったときの告知までの対応はもちろん、大阪で観劇予定だった事務所のお偉いさんを名古屋に呼び寄せる等、常に真摯に寄り添ってくださった。リピーターがいなければ舞台は回らないこと、興行が成功することこそがステップであること等あけっぴろげに話し、顧客に感謝してくれた。そして今も、大阪公演実施に向けて尽力している。

「燻っている」。悔しいかと聞かれたら、悔しい。でも否定できるか、といわれたら、否定できない。ファンと本人のもどかしさを否定せずに、それでいいんだと肯定してくれることがどれだけ心強いか。

演劇業界においては苦しい状況が続く中、清水さんをはじめとした皆様が今江くんに、ひいてはファンに対してこんなにもまっすぐである理由が分かるすばらしい挨拶で、この挨拶の後半から、会場ではそこかしこですすり泣きが始まってていた。

そして、今江くんの挨拶。以下もニュアンス。

今日主演としてここでやらせていただいて、でもすごく、僕が一番下手で、全然…ここ(真ん中)に立っていい人間…人間、ここにいる人間じゃないな、と。すごく不安で…。でも今日、千秋楽一部、スタッフさんとかに裏で『今江くん今日すごく楽しんで演技できてるよ』って、そう思ったら二幕滑舌が死んで…もっともっと、ステージに立つものとして頑張っていかないとな、もっともっと努力して、もっともっと見てもらえるように、頑張ります。

今江くんが泣きそうに震える声を抑えるよう、普段よりもずっと低い声でこれらの言葉を紡いでいたのが印象的だった。泣かないように、一言一言、ぽつりぽつりと。「人間」なんかは実際に繰り返していて、言葉に詰まりながら、それでも伝えようとしてくれていた。

この後に長く、大きな拍手があった。時間にして30秒弱ぐらいだと思うが、鳴りやまない拍手とはこのことか、というぐらい、一人の挨拶に対しては暖かく、長い拍手だった。

困ったときや照れたときに彼がよくするように、客席にお尻を向けたかと思うと、上を見上げ、右手で、そして左手で、と順番にそれぞれの目を拭う。泣きそうだとは思っていたが、本当に泣いているのか。正面に向き直り、片方の手で肘を支えながらもう片方の手で頭を抱えるような仕草をし、目頭を押さえる。かと思えば、両手で髪の毛を後ろにかきあげる。唇を「うー」と突き出して、泣かないように、とコロコロと表情を変える。

そして、清水さんのこの一言。この清水さんの言葉で今江くんはまた泣き始めたわけだけど。

こうやって、自分が下手だと気づくことが成長の一歩。もっと努力しようと思ってもらえること、きっと、彼の人生を変える公演になったと思う。

全体的にこの日の今江くんは、普段はあるような客席を見渡す動きもほとんどなくて、泣くのを堪える、そこに立つことが胸いっぱい、そういう状態だった。今江くんが、今まではあまり口にしなかった「不安」「弱気」の感情を素直に言葉にして、涙した。人間臭い、等身大、丸裸な状態だった。

今江くんは普段、なかなか泣かない。冒頭に書いたとおり、「めっちゃ幸せ」「楽しい」とプラスの感情をコンスタントに伝える傾向がある人だ。寂しいこと、悲しいことがあったときも、割り箸を口に咥えてでも(わかる人はわかる)無理やりに笑顔を作る、そんな人だ。「いつも通り」が定石で、千穐楽に特別なことをすることをなんとなく嫌っているような人だ。

だから、あそこで泣いてしまったことは想定外なのかもしれない。でも、感情を、それもプラスでなく、マイナスに捉えられる感情を、あの場で素直に見せたことを悪いように思う人はいなかった。

私が敬愛してやまない西条みつとしさん演出・脚本の舞台、「〇〇な人の末路~僕たちの選んだ××な選択~」に、「大の成人男性が人前で号泣したら必ず幸せになれる」というシーンがある。今回の今江くんの涙を見て、なんとなくそれを思い出した。弱さも不安も悔しさも全て曝け出して涙し、それを観測する者がいるなら、あとに待っているのは幸せだけだ。

いまはなんだか、ワクワクしている。これは京都マラソンの後や、2017年の春松竹でOne Chanceを見た後の感覚に近い。人生を変える瞬間、確かに立ち会えたのだと思う。イケる、やれる、やってみせる。こんなところで留まる男じゃない。いまできる精一杯が悔しいなら、ここからはまた伸びるだけだ。カーテンコールの涙を除けば、舞台上で心から楽しんでいるのも伝わってきた。それを見てこちらも、心から楽しい思い出ができたのだ。

パンフレットに書かれていた、「この公演は役者宣言をしてから初の主役なので、絶対に次へのステップにつなげたいし、俳優としての幅を広げることができたらいいなと思っている」の言葉を胸に。

私は五分五分の、Run for Your Wife大阪公演、実施する方にBetする。その時はみんなぜひ来てほしい。更に磨きがかかった役者、今江大地が、あなたをお待ちしております。

www.shyboy.jp

真摯だから拍手が続くし、真っ直ぐだから応援したくなる。

いつもありがとうございます。

これからもどうぞよろしくお願いいたします。